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valueと価格

この記事は、「投資とvalueに対する基本的理解」免努苦齋さんからいただいたコメントに対する回答です。
長文になってしまったので記事にしました・・
せっかくなので、みなさんも読んでくださいね。
〔免努苦齋のコメントは上記の記事を御覧ください〕

「対価」と「価格」についての認識に開きがあるように思います。
私にとって、
・対価はvalueを入れるために提供するもの。
・価格は貨幣を介在させる取引で成立した金額です。
価格は貨幣で換算できます。
他方、対価は貨幣で換算できるとは限りません。

例えば、ピカソの絵とマティスの絵を直接交換した場合、両当事者にとって2つの絵がほぼ等価であることは推測できても、それぞれの絵のvalueを貨幣で換算するといくらになるのかは(おそらく当事者にも)分からないと思います。

また、私がvalueに実体があると考えているのは、すべての取引はvalueの交換だと考えているからです。
例えば、働いて給料を稼ぐことは、時間や役務というvalueと貨幣の交換という理解です。正確に言えば、貨幣そのものではなく、貨幣と引換えに手に入れるもの(衣食住や娯楽)にvalueがあるわけですけど・・

ちなみに、愛情、幸福、名誉等の精神的なものもvalueと考えています。これらのvalueはそれ自体pricelessかもしれませんが、計量できるかどうかは無関係ですから。
それに、私がなんで毎日出勤するのかと言えば、家族と幸せに暮らしたいからです。これは、私にとって家族との生活は毎日頑張って働くだけのvalueがあるということだと思います。

そして、valueはそれぞれの人間のその時々の主観で決まるものですので、仮にvalueが普遍的なものかと聞かれれば、答えは「否」になります。

グレアムやバフェットがvalueという言葉を使った理由は分かりません。
ただ、投資家が考えるvalueと言えば、投資したキャッシュによって生まれるキャッシュです。
バフェットは、株式は企業の所有権と考えています。つまり、バフェットにとっての普通株投資は、株価が将来値上がりしたら売却してキャッシュを得る取引ではなく、企業の所有権を手に入れることで企業の稼ぐキャッシュを直接手に入れる取引です。
バフェットが企業の収益力をvalueと呼んだのはそんな理由ではないかと思っています。
[ 2006/11/30 23:44 ] 投資全般 投資哲学 | TB(0) | CM(7)

?

>「対価」と「価格」についての認識に開きがあるように思います。
私にとって、
・対価はvalueを入れるために提供するもの。
・価格は貨幣を介在させる取引で成立した金額です。
価格は貨幣で換算できます。
他方、対価は貨幣で換算できるとは限りません。

この「対価」つまり、「valueを(手に)入れるために提供するもの」は、普通は貨幣ですよね。

>例えば、ピカソの絵とマティスの絵を直接交換した場合、両当事者にとって2つの絵がほぼ等価であることは推測できても、それぞれの絵のvalueを貨幣で換算するといくらになるのかは(おそらく当事者にも)分からないと思います。

 直接交換した場合でも、両当事者が「貨幣で換算するといくらになるのか」を想定していないというのはちょっと考えられないのでは。世界的に有名な絵画の場合は、それなりの相場価格が出来ていて、それを度外視して買うので悪名高いのは日本人ですけど(笑)。

 結局、私はこの問題を考えるのには貨幣の問題を抜きにしては考えられないと思っています。では、「そもそも」貨幣とは何か?


>ちなみに、愛情、幸福、名誉等の精神的なものもvalueと考えています。
>そして、valueはそれぞれの人間のその時々の主観で決まるものですので、仮にvalueが普遍的なものかと聞かれれば、答えは「否」になります。
>ただ、投資家が考えるvalueと言えば、投資したキャッシュによって生まれるキャッシュです。

valueには二種類があるということですね。

 えーと、自分で頭を絞って考えるのもそれはそれで楽しいのですが、先人がこれらの問題を考えてこなかった筈は無いので、参考にすべきだと私は思うのですよ。投資について勉強したのと同じように。

 で、○田さんが辞書を調べられた定義の中に、「使用価値」と「交換価値」という言葉がありましたが、これは経済学のタームで、多分、空色さんが考えているものに想定すると思いますので、一度調べられる事をお勧めします。今は、ネットでも色々調べられますし。

 で、調べれば分かりますが、この「使用価値」と「交換価値」と貨幣の三つ巴の関係について考えぬいた人が過去には勿論いる訳です。むしろ、私が訝るのは、なぜ皆経済学ではどうなっているのか調べようとしないのかという点です。

 出発点はそれからです。

[ 2006/12/01 03:55 ] [ 編集 ]

コメントありがとうございました!

う~む、やっぱり理解していただけなかった(笑)

>>直接交換した場合でも、両当事者が「貨幣で換算するといくらになるのか」を想定していないというのはちょっと考えられないのでは。

私はそのように考えていないということです。
貨幣が存在しない時代にだってvalueは存在したと思いますし。例えばナカタとロナウドが試合後にユニフォームを交換するとして、お互いのものがいくらかなんて考えるのでしょうか? 
(考えているかもしれませんけど・・)

というワケで、私は、貨幣なんてただの物差しに過ぎないし、すべてのvalueや取引を貨幣で換算する必要はないとも思っています。
ちなみに、私の中ではvalueは1種類です。貨幣で計量できるかどうかという違いはあるでしょうけど。

まあ、免努苦齋さんに言わせれば、こういう発想自体が勉強不足ということですね。それはそのとおりなので、機会があれば勉強してみたいと思います。
いろいろ御教示ありがとうございました。

免努苦齋さんの総括に期待しています。それでは!
[ 2006/12/01 08:15 ] [ 編集 ]

いやあ、・・・

 
>私はそのように考えていないということです。
貨幣が存在しない時代にだってvalueは存在したと思いますし。例えばナカタとロナウドが試合後にユニフォームを交換するとして、お互いのものがいくらかなんて考えるのでしょうか? 
(考えているかもしれませんけど・・)

この例ならわかりますよ。多分(笑)。

 ところで、空色さんは言葉の意味は常に同じだと思ってませんか。私は、言葉の意味というものは文脈によって変ると考えています。逆に言うと、その言葉が自分の考えている意味で取れるように文を作り、例を挙げていく必要があるということですが、そういう意味で先の例はちょっとわかり難いし、「対価」は普通「価値」の意味では使わないので・・・。ま、これも「私はそのように考えていない」と言われたらそれきりですけど(笑)。

 で、私が斟酌させてもらうとですね、多分、空色さんが考えているのは先に挙げた「使用価値」の事だと思うので、少し説明させて貰うとですね、このナカタとロナウドの場合は貨幣で計量できない「使用価値」を交換している訳です。勿論、普通の場合も貨幣を媒介にして「使用価値」を交換している訳ですが、価値が計量できない「使用価値」と計量できる「交換価値」と2種類あるというのは、全く別々にあるということではなくて、一つの商品がその「重ね合わせ」の状態にあるということです。というか、あるものが商品になることによって、つまり貨幣を媒介として交換されることによって計量できる「交換価値」という属性が新たに立ち現れてくるといったことなんですが・・・。例えば、前のピカソの絵の例でいうと「ピカソの絵の値段」が「交換価値」に当たり、「ピカソの絵が無価値ということにはなりません」というのは「使用価値」の事を指して言っていると思うのですが、こういった理解で間違ってますか?

 まあ、「交換価値」「使用価値」という言葉に抵抗があるなら、「計量出来る価値」「計量出来ない価値」とでも言い換えれば良いと思いますが、極端に言えば、先にも言ったように言葉はどうでもいいんですけどね。要はその文脈、ロゴスです。


 先人の遺産は尊重すべきであって、それを発展させていく事は我々の義務だと思いますし、少なくとも、努力はすべきだと思います。その場合には我を廃してロゴスを尊重しなければ発展もままならないと私は思うのですが・・・。

[ 2006/12/01 17:49 ] [ 編集 ]

ありがとうございます

はじめまして

シェアーズと申します。

大変参考になります。
ありがとうございました。

誠に勝手ながらリンクを貼らせていただきました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
[ 2006/12/01 18:40 ] [ 編集 ]

コメントありがとうございます。

>免怒苦斎さん
言葉の意味は多義的という認識です。文章や例示が分かりにくいのは、私の理解が浅いせいだと思います(笑)

問1回答の「対価」という表現は「代償」はどうでしょうか。

使用価値と交換価値の話は、例えば、ナカタがその後ロナウドのユニフォームをオークションで100万円で売ったとします。
このとき、交換価値は100万円ですよね。
でも、ナカタはロナウドのユニフォームに50万円の価値しかないと思ってなくて、落札者は200万円の価値があると思っていたら、両者にとっての価値は50万円と200万円というのが私の理解です。
これって使用価値ですかねえ‥

>シェアーズさん
はじめまして。
当ブログからもリンクさせていただきます。
今月のセミナーに参加させていただきます。その節はよろしくお願いします。
[ 2006/12/01 22:55 ] [ 編集 ]

どうやら建設的な議論にはならないようです・・・

>問1回答の「対価」という表現が「代償」はどうでしょうか。

「代償」でも良いのですが、意味が分かるように定義するか、或いは分かるように文章の中で使っていただかないと・・・。例えば、これまでの「価値」とか「価格」とかとはどう違うのかということです。


>使用価値と交換価値の話は、例えば、ナカタがその後ロナウドのユニフォームをオークションで100万円で売ったとします。
このとき、交換価値は100万円ですよね。
でも、ナカタはロナウドのユニフォームに50万円の価値しかないと思ってなくて、落札者は200万円の価値があると思っていたら、両者にとっての価値は50万円と200万円というのが私の理解です。
これって使用価値ですかねえ‥


 この文章は色んな疑問が浮かんできて理解できないのですが・・・(笑)。

 そもそものこの事例は「交換するとして、お互いのものがいくらかなんて考えるのでしょうか? 」という例であったのにも関わらず、ここではナカタは「50万円の価値しかないと思」っている?

 そして、空色さんの「私は、貨幣なんてただの物差しに過ぎないし、すべてのvalueや取引を貨幣で換算する必要はないとも思っています」という主張との関係は?

 私は、価値が計量できない「使用価値」と言ったと思いますが、それを「50万円と200万円」とは?

 この文章の中の「価値」は総て「交換価値」で置換える事が出来ると思いますが、当初想定していた交換価値、つまり値付けが単に間違っていたというケースで、これは日常でもよくあることだと思いますが・・・。


で、どうやら議論の前提となる言葉のやり取りがお互いの間で正しく出来ていないようです。残念ですがどうやらここまでのようですね。

では。
[ 2006/12/01 23:58 ] [ 編集 ]

>免努苦齋さん

じゃあそういうことで。
[ 2006/12/02 00:44 ] [ 編集 ]

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