本書は、大東亜戦争(太平洋戦争)での旧日本軍の敗戦の分析を通じて旧日本軍の組織特性を明らかにし、さらに、現代日本の政治・企業組織にも旧日本軍に共通する組織原理がみられるとしてその改善の方策を低減している。 ほんの1~2年前までこのテの(太平洋戦争関連の)書籍にはなんとなく抵抗感があったんだけど、取引先の研修機関のお姉さんに勧められて栗林中将関連の書籍を読んでから、得るものありと考えを変えて読むようになった。 本書では、旧日本軍の敗戦の要因を次のように分類している。 (1)戦略上の失敗要因分析 ◯戦略目的のあいまいさ・不統一 ◯長期的視野の欠如 ◯「空気」の支配(主観的な意思決定) ◯ワンパターンな戦略思想 ◯アンバランスな戦闘技術 (2)組織上の失敗要因分析 ◯人間関係重視・インフォーマルネットワーク偏重 ◯組織統合が属人的(制度上は担保されていない) ◯失敗や経験に学ぶ姿勢・組織文化の欠如 ◯動機やプロセスを過度に重視した人事評価・個人責任の曖昧 次に、上記のような失敗要因が生じた原因として、旧日本軍の組織原理を挙げている。 具体的には、軍隊は本来、高度に合理的・階層的である官僚組織であるはずなのに、本来の官僚制と日本独特の集団主義が奇妙に入り交じり、官僚組織のメリットが失われてしまったとのことである(本書でいう「官僚組織」とは、現在一般にいわれている「官僚組織」とはニュアンスが異なる。)。 そして、現代日本の政治・企業組織にも旧日本軍に共通する組織原理がみられるとして、日本の企業組織は環境に応じて柔軟に組織戦略・目的を変更できる自己革新組織となるべきであり、そのためには自己否定学習や公正な人事システム等が重要であるとして締めくくっている。 本書は初版が1984年に出版されているのでかれこれ25年以上も前の書籍だけど、内容は現代にも十分通用する。 本書では、インパール作戦,レイテ海戦、沖縄戦など6つの作戦を例にあげて日本軍の問題点(軍事上ではなく組織戦略・意思決定上の問題)を検証している。そこで挙げられる問題は組織戦略・目的の欠如、コミュニケーション不足による認識の不一致、その場その場の「空気」や情実・インフォーマルな人間関係を踏まえた意思決定など、現代日本の組織が抱えている問題とほとんど同じで、程度の差こそあれ「うちの職場でもこーいうのあるよなあ」と思わされるところが多々ある。それって結構よくないことで、「このままいくと日本ってヤバイんじゃないか」と考えさせられてしまう。 以前取り上げた 山本七平「『空気』の研究」とともに、強くおすすめできる本。
先日Twitterで見かけた廣宮孝信著「国債を刷れ!」を読みました。 本書の概要は以下のとおりです。 ○日本が重視すべきはプライマリーバランスより「実質所得の増加率」である。 ○実質所得を重視するためには福祉政策、公的部門の拡大など財政支出の増加によりGDPを成長させる必要がある。 ○政府支出はGDPの大きなウェイトを占めているので、政府支出を増加させなければGDPは成長しない。 ○政府支出の財源には国債を充てればよい。国債残高(国債残高/GDP比率)が大きくなると国家が破綻するというのは大ウソである。 ○政府支出の拡大によりGDPが成長すれば、国債残高/GDP比率が小さくなるので、財政の健全化にもつながる。 ○大量に刷った国債は日銀が引き受ければ良い。日銀が国債を引き受ければ、政府が国債利息とほぼ同額が法人税・国庫納付金として政府に戻ってくるので、事実上調達コストが0になる。 である。 ○日銀の国債直接引受けにより通貨供給量が大幅に増えると悪性インフレが懸念されるが、日本は現在デフレであるし、ジンバブエのような国と違って供給力が需要を上回っているので、通貨供給量が大幅に増えても悪性インフレは起こらない。 ○したがって、日銀の直接引受けにより国債を大量発行し、政府支出を拡大するべきである。 個人的には、読んでいて違和感を覚えました。 プライマリーバランスを重視するあまりに必要な政府支出を削減するよりも積極的かつ効果的な政府支出を通じてGDPを成長させるべき、という意見には賛同します。 しかし、著者の主張は、政府が自由に通貨を発行できるようにすべきと言っているのと同じで、そもそもどうして世界の多くの国家で、中央銀行という政府とは独立した機関が通貨発行をコントロールするようになったのかという点についての考察が足りないように感じられます(本書では、その点についての考察もなされてはいますが。)。 本書では通貨発行益(著者によると発行通貨の額面価格―印刷コスト)があるので通貨を発行すればするほど国が儲かるという考え方も示されていますが、通貨発行益をそのように認識することにも違和感があります。 悪性インフレが起こらないとする理由についても、現状がデフレだからというのは理屈になっていない気がしますし、通貨を大量発行しても需要に応えられるだけの供給があればインフレは起こらないという意見についても、日本円に対する信任が損なわれるようなことになればインフレが起きてしまうような気がします。 著者は本書の中で自信の主張する積極財政策をケインズ派、構造改革政策をマネタリストと位置付け、過去の成功例(高橋是清やルーズベルト大統領)を引合いに積極財政策の正当性を訴えています。 しかし、いまどきケインズ派もないでしょうし、構造改革政策=マネタリストというくくりも個人的にはどうなのかぁと思います。 個人的には、現在の日本経済の状況をかんがみると、日銀の国債直接引受けと国債の大量発行という選択肢も考えざるを得ないのかなとも思いますが、それはあくまで禁じ手であって、著者のように国債の大量発行こそが正しい道というような考え方には最後までなじめませんでした。 (参考URL) ○「中央銀行と通貨発行を巡る法制度についての研究会」報告書(PDF) ○日本経済研究センター ○富士通総研 ○本石町日記 ○ハリ・セルダンになりたくて
以前から面白い本だと聞いていたので、先日、図書館で借りてきた。思っていたよりも古い本でびっくり。初版が1983年だから、もう25年以上も昔の本。 でも、内容は全然古くなかった。 本書は、日本人の意思決定を拘束している「空気」とは何かを研究した本。 本書のテーマは以下の3つ。 ○「空気」とは何か。空気はどのように発生し、どのように作用するのか。 ○「空気」を崩壊させる「水=通常性」とは何か。 ○どうして日本人は「空気」によって意思決定を拘束されているのか。 第一に、本書では、「空気」とは、一定の状況下で生じている精神的な空気・雰囲気であり、日本人は論理的思考や科学的データではなく「空気」に従って意思決定をしていると主張しています。 確かに、「あのときの『空気』ではああせざるを得なかった」「あの会議の『空気』ではそんなことはとても言い出せなかった」といった言葉に代表されるように、ある特定の状況下での「空気」のせいで、望ましい言動ができなかったり、望ましくない言動をしてしまったりする例はよく見られます。私は、それはごく当然のことだと考えていましたが、筆者によれば、それは明治以降の日本に特徴的に見られる傾向なのだそうです。 また、「空気」とは、特定の物事について、対立概念を用いて相対的に把握するのではなく、過度の感情移入によって絶対化する(筆者の言葉では「臨在感的に把握する」)ことによって発生するのだそうです。例えば、二国間の戦争において、両方の国それぞれについて善悪の要素を認めるのが相対的な把握であり、一方を善、一方を悪と決めつけてしまうのが臨在感的な把握ということです。 そして、いったん「空気」が発生してしまうと、特定の物事について論理的・相対的に考えることが困難となり、最終的に「空気」に沿った結論が導かれてしまうということです。 第二に、筆者は、物事の臨在感的な把握は日本の伝統に基づくものだとしつつ、明治より前の時代では「空気」に負けることを恥とする文化があり、「水を差す」ことによって「空気」を崩壊させるという対策を採っていたとしています。ここでいう「水」とは現実のことです。つまり、何らかの「空気」が生まれたときに、皆が忘れかけていた現実を思い出させることによって「空気」を崩壊させることが筆者の言う「水を差す」ということのようです。 他方で、筆者は、日本では、誰かが「水を差す」かどうかにかかわらず、毎日「雨」のように降り注ぎ、すべてのものを現実に即して変容させていくと主張しています。筆者によれば、仏教も、儒教も、共産主義も、長い年月の間に日本的な概念が多く取り入れられて、オリジナルとはかなり違ってきているとのことです。 そして、筆者のいう日本の「現実」とは、「父と子の騙し合いの社会」「情況倫理の働く社会」です。もう少し具体的に言えば、「父と子の騙し合いの社会」とは、本音と建前を分け、本音を口にすることをタブーとする社会、「情況倫理の働く社会」とは、情況に応じて価値判断が変わる社会、つまり「あの情況ではああせざるを得ない(だから我々に責任はない)」と考える社会」のことです。 つまり、「水を差す」ことによって「空気」を崩壊させることができるものの、そのときに差す「水」は「空気」の存在・支配を前提としているので一定の限界がある、ということのようです。 第三に、どうして日本人が「空気」によって意思決定を支配されているかというと、日本人は言語を用いて未来を論理的に構成することができないからだそうです。 どういうことかというと、多神教の日本人は、論理的に矛盾する物事も「それはそれ、これはこれ」として受け入れてしまうため、物事を臨在感的に把握することはできても、言語を用いて未来を論理的に構成することができないのだそうです。 正直、私にはちょっと難しかったので、著者の主張をどれほど理解できたのかは我ながら疑問です。 ただ、小泉政権以降の政治状況等をみても、日本は依然として「空気」に支配されていると思いますし、それではいけないと思います。そういうことを深く考えさせられた1冊です。ぜひ一読をお勧めします(そして私に分かりやすく説明してください....)。
研修業務を担当するようになってから、これまで読まなかったジャンルの書籍も読むようになりました。 本書では、部下の指導・育成の方法論がコンパクトにまとめられています。 本書によれば、部下の指導・育成にあたって重要なポイントは3つです。 (1)明確な目標を立てさせること (2)できるだけ成果を探して褒めること (3)失敗に対しては速やかに、具体的に問題点を指摘すること 上記のそれぞれを適切に行えば、部下の指導・育成に時間はかからないとのこと。 本書では、上記のそれぞれについてポイントが簡潔にまとめられており、物語仕立てとなっているので非常に読みやすく、かつ、コンパクトな本なのでほんの2~3時間で読み終わります。 それでは中身が薄いのかと言えば、決してそんなことはなく、部下の指導・育成関係の書籍で参考文献として取り上げられていることも少なくありません。 部下の指導・育成に苦労している方、不安を抱えている方にはお薦めです。
1990年代に一世を風靡し、日本でも新聞紙上を賑わせたヘッジファンド、LTCM(ロングタームキャピタルマネジメント)の興亡を記したドキュメンタリー作品です。 本書は読者によっていろいろな読み方ができると思いますが、私が印象に残ったのは以下の2つです。 (1)レバレッジの危険性本書では、レバレッジを効かせることにより、本来相関関係のなかった資産クラス同士の相関が高まる仕組みが非常に分かりやすく描かれています。 要は、レバレッジをかけた投資で失敗した場合、損失を穴埋めするために(失敗した投資とは全然関係のない)手持ちの資産を売却しなければならないということです。言われてみれば至極当然ですが、本書を読んで「分かりやすく書いてあるな~」と感心しました。 (2)効率的市場仮説の問題点LTCMの最大の特徴の一つは、ノーベル経済学賞を受賞した経済学者がメンバーとして参加し、ノーベル経済学賞を受賞した経済理論に沿って投資を行ったという点だと思います。 本書では、効率的市場仮説及び同説に基づいたブラック=ショールズ式について、例えば以下のような、さまざまな問題点が指摘されています。 ・すべての市場参加者が完全情報を持っているわけではない。 ・すべての市場参加者が常に合理的な判断をするわけではない。 ・市場に常に「流動性」が存在するわけではない ・それぞれの株式のボラティリティは同一ではない ・計量できるリスクと「不確実性」は同一でない 本書で提示されている問題点についてここで個別に検討はしませんが、私のように効率的市場仮説に否定的な立場の者から見ると、主要な反論は網羅されているように思えます。 逆に、効率的市場仮説を支持される方々は、ここで提起された問題点についてどうお考えなのか興味があります。 個人的には、上記のうち「流動性」の問題などは、投資信託の買持ち以外の経験のない「投資家」にはぴんとこないかも、と思いました。 やや古い本ですが、「信用収縮」という点では現在の金融危機に似ていなくもありませんし、そもそも読み物として面白いので、未読の方はこの機会に読んでみることをお薦めします。 (注)本書は「天才たちの誤算-ドキュメントLTCM破綻」の文庫版です。文庫版になる際にタイトルが変更になったようですが、内容は同じなのでお間違えのないよう。(新書版と文庫版でタイトルの違う本をときどき見かけますが、紛らわしいので止めてほしいものです・・)
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後でじっくり、読みたいと思います。レバレッジ君私が子ども手当を支持しない2つの理由お邪魔します。
思うに子ども手当の根底にあるのは「子供達のためだから」という「主観的な善意の絶対化」ではないでしょうか。それは「女性のため」という「選択的夫婦ブロガー(志望)私が子ども手当を支持しない2つの理由私も子供手当は反対です。理由は、今は景気回復に全力を尽くすべきだから
です。子供手当の経済波及効果は極めて低いです。福祉をやってる場合か?
今がどんな時期なのかこなつホテル・ルワンダ>あつまろさん
コメントありがとうございます。
フツ族とツチ族って、統治しやすいようにベルギーが体型や鼻の高さなどを基準に無理矢理2つに分けただけで、実際に空色ホテル・ルワンダホテルルワンダ、私も印象に残っている映画です。
ツチ族とフツ族は以前から小競り合いはあったと思いますが、
旧宗主国のベルギーがツチ族を優遇したことで、憎悪がわきあつまろ